第5話は「進化のシンドローム」。アレルギーと進化医学をテーマにした物語です。(2009年8月執筆)

             

                     

 

 

 

 

 

進化のシンドローム

 

 

 

 

先進国において、この100年間で

患者数が100倍にも増えている病気がある。

 

  それは、アレルギー。花粉症、アレルギー性喘息、アトピー性皮膚炎、食物アレルギーなどの、アレルギー疾患である。先進国では、いま、3人に1人がアレルギーに悩まされていると言われている。20世紀の初めにはアレルギー患者の割合はわずか0.3%ほどだったとされており、つまり、この100年間において アレルギーを患う人の数は約100倍にも増加していることになるわけだ。

さらに、疾患の有無に関わらずアレルギー体質を持っている人が、日本でも急激に増えていることが明らかにされている。2003年に 国立成育医療センターが20代の若者を対象に実施した調査では、スギ花粉やダニに対するアレルギー体質保有者の割合が、被験者全体の50%をゆうに超え、とくに 関東地区では70〜80%にも達した。1970年代の末にも同様の調査が行われているのだが、その際の結果は約25%だった。すなわち、この30年間で、アレルギー体質を持つ日本の若者の数は倍以上に増えているのである。

そして、この増加の勢いは今後も変わることなく、いずれアレルギー体質は日本人のみならず現代人の標準体質になっていくだろうと考えられている。

未来の標準体質を先取りしたわけではないが、52歳の筆者もまた、慢性的な皮膚のアレルギー疾患を抱える一人である。発症して、もう20年になるだろうか。いまの時季は比較的症状は治まっているのだが、空気の乾燥する冬場などは 通院と治療薬の塗布が欠かせない。皮膚科の待合室で、幼い子供や若い人たちを 多く見かけ、胸が痛むが、それはまた上記のデータにも示された世の趨勢なのだろうか。

アレルギー疾患のなかでも、とくに近年、罹患者が目立って増えているのが花粉症だ。「世界三大花粉症」という言葉をご存知だろうか。ヨーロッパの各国ではイネ科の牧草であるカモガヤが、アメリカではキク科の多年草であるブタクサが、そして日本ではスギが、毎年花粉の飛散期になるとたくさんの人たちを苦しめている。

かつて、日本には花粉症は存在しないと言われてきた。だが、1961年に ブタクサ花粉症が報告された。明治の初期にアメリカから入ってきたこの帰化植物は、日本全国の道端や空き地や河原などに繁茂し、その花粉で多くの人たちを悩ませたが、高度経済成長時代の土地開発や整備にともなって繁殖の場を失っていき、やがて花粉の飛散数も発症率も低下していった。

ところが、新たなる花粉飛散の主役が、この国に現れた。スギである。 第二次世界大戦後の植林造林政策によって、日本中の山々には生育の早いスギの木が続々と植えられていき、その10年後にはヒノキの植林も広まっていった。

そして、日本固有の花粉症が、ついに発現したのである。1957年の2月、栃木県日光市の住民たちが医師に訴えた、突然の激しい目のかゆみ、くしゃみ、鼻水、鼻づまりなどの症状は、7年後の1964年に 「スギの花粉が原因で起こるアレルギー性の鼻炎・結膜炎」 すなわち 「スギ花粉症」として初めて報告をされた。

最初の発症から半世紀を経たいま、全国で3800万人もの人たちがスギ花粉症に悩まされていると推定されている。これは、日本の総人口の 約3分の1。驚くべき数字である。しかも、花粉を飛散させているスギの木は、樹齢で見るといまが青春真っ盛りという時期であり、今後20年くらいは大量の花粉を飛び散らせ続けると言われているのだ。

それに加えて、スギから約10年遅れて植林の広まったヒノキは、樹齢50年頃から多くの花粉を飛ばす晩成品種であるとの指摘は、まさにこれからが ヒノキ花粉の本番なのだということを示唆するものである。いったい花粉症は、どれだけの数の人を苦しめることになるのか。

いずれアレルギー体質は現代人の標準体質になっていくだろうと考えられていると 前述したが、そのようなことを言われても途方に暮れるばかりだ。いったい、どうして、そうならなければいけないのか。

その謎は、「進化」のなかにある。

最新の医学研究はもちろん、病気の意味を生物学を含めた視点から解き明かそうとする新しい学問分野の登場によって、アレルギーを始めとする現代病の原因が、われわれ人類という生き物がたどってきた進化の過程のなかに潜んでいることが、少しずつ明らかにされてきているのだ。「進化医学」という名の、この研究分野の視点にも立ちながら、今回の物語を進めていきたいと思う。

 それでは、始めよう。まず、アレルギーとは何なのか?

 

 

 

 現代人を苦しめる過剰な免疫反応は、

人類を守り続けてきた命の反応でもある。

 

    われわれの体は、「免疫」という防衛システムによって病原体などの外敵から守られている。もしも傷口から細菌が侵入してくれば、これを敵だと認識した免疫の軍隊、すなわち免疫細胞たちが速やかに攻撃を仕掛け、撃退し、排除して われわれの体を守ってくれる。

それでは、もしもスギ花粉が鼻の孔から入ってきて、鼻の粘膜に付着したとしよう。花粉は体に害を及ぼすものではないのだが、免疫細胞はこれを敵であると誤認してしまい、一刻も早く排除すべく、大量の鼻水を出して洗い流そうとしたり、くしゃみを起こして吹き飛ばそうとしたりと、過剰な防御反応を示す。簡単に言うと、これが花粉症のアレルギー反応だ。

 「アレルギー疾患とは、免疫反応によって起こる過敏症のひとつである」。 世界アレルギー機構は、そう定義している。現代病の代表とも言うべきアレルギーだが、その存在の記録は古い。紀元前1世紀に、古代ローマの哲学者ルクレティウスが「甲の薬は乙の毒」という言葉を書き残しているのだが、これは食物アレルギーのことを指しているものらしい。また、ユダヤ教の聖典である バビロニア・タルムードには、卵白アレルギーの予防法が書かれていると言われる。    

その後も 歴史上のさまざまな文献にアレルギー性鼻炎や喘息などについての記述がなされてきたが、今日につながるアレルギーの概念が生まれたのは20世紀に入ってからだ。ちなみに 「アレルギー」というネーミングを考案したのは、オーストリアの小児科医だった C・F・フォン・ビルケという人物で、ギリシャ語の「allos(変わった)」と「ergon(作用)」を合成して作った。1906年のことである。  

さて、「免疫システムの過剰な反応」に話を戻し、そのメカニズムの説明を続けよう。免疫細胞の活動を促す外敵や異物のことを「抗原」と言い、それらのなかでもアレルギー反応を引き起こす抗原を「アレルゲン」と言う。

体内に抗原が入ってくると、免疫細胞はそれに対抗するための「抗体」を作り出す。抗体とは免疫反応の中心的な役割を担う物質で、侵入してきた抗原に結合し、その作用を無力化するもの。免疫の軍隊の、強力な武器である。

免疫細胞にはいろいろな種類があるが、とりわけ重要な働きをする指揮官とも言うべき細胞は 大きく2種類に分けられる。まず、「1型ヘルパーT細胞」。主に細菌やウイルスなどを撃退するために働く免疫細胞で、その武器となるのが「IgG」という抗体だ。細菌やウイルスを撃退した後も、この免疫細胞の記憶は保持されるので、次回以降の外敵の侵入時にはさらにスピーディーに撃退を行ってくれる。はしかやおたふく風邪などに一度罹ると、その後はまず罹らなくなるのは、この優れた免疫細胞の働きのおかげである。

そして、もう1種類の指揮官が、「2型ヘルパーT細胞」だ。花粉やダニなどのアレルゲンを撃退するために働く免疫細胞で、「IgE」 という抗体を作り出して武器とする。花粉やダニなどが侵入してくると、このIgEは、まず鼻や目の粘膜にあるマスト細胞の表面にはまり込む。マスト細胞には、ヒスタミンなどの炎症物質が大量に詰まっており、IgE にアレルゲンが結合すると、炎症物質を放出して敵の撃退を行うのだ。

くしゃみ、鼻水、鼻づまり、目のかゆみなどの花粉症のアレルギー症状は、この炎症物質によるものである。本来は効率よく敵を撃退するための正常な免疫反応であるにも関わらず、それが問題となるのは、さほど体に害のないアレルゲンに対しても免疫システムが過剰反応を起こしてしまうからだ。いったい、それは、なぜなのか。どうして、花粉を敵だと誤認するのか。

IgE を持っているのは、われわれ人類を含めて哺乳類だけと考えられている。いまから約2億年前、初期の恐竜や大型爬虫類が地上をのし歩いていた頃、われわれの祖先である初期の哺乳類の体長はわずか10cmくらいで、極めて弱い存在だった。大型の敵による捕食を避けるために、夜間に活動するなどして 厳しい環境を生き抜いていたが、小さな強敵にも脅かされた。体内に侵入してくる、細菌、ウイルス、吸血ダニ、寄生虫……。

前述の1型ヘルパーT細胞と IgG という抗体による免疫システムを彼らはすでに持っていたから、細菌やウイルスは撃退することができた。だが、この免疫だけでは、細菌やウイルスよりもずっと大きな吸血ダニや寄生虫などに対しては無力だった。なんとか生き残りを図ろうとする彼らが獲得したもの、それが IgE を使う2型ヘルパーT細胞による免疫システムだったのである。われわれ人類が 今日まで生き延びてこられたのも、2億年前の祖先がIgE を持った新しい種類の免疫を手に入れてくれたおかげなのだ。

しかし皮肉なことに、吸血ダニも寄生虫もいなくなった21世紀の先進国の生活環境のなかで、われわれ哺乳類が敵から身を守るために獲得した IgE によるアレルギー反応が、われわれ自身を苦しめている。それは、花粉の成分が 吸血ダニの成分と似ているためだ。花粉が鼻や目に入ると、われわれの免疫システムは吸血ダニのような恐ろしい敵が襲いかかってきたぞと勘違いをして、IgE を大量に生産し、アレルギー反応を引き起こしてしまうのだ。なんとも、せつない話ではないか。

 

 

見つかった「アレルギーを防ぐ物質」は、

われわれの生活が捨ててきたものだった。

 

   アレルギーの患者やアレルギー体質の保有者が急激に増えているのは悲しい現実だが、これは主に日本や欧米先進国に顕著な状況だということを忘れてはならない。広く世界に目を向ければ、数多の国々はいまだ発展途上の段階にあり、そこにアレルギーに苦しむ人の数は多くない。

例えば、モンゴル。国土の約8割を草原が占めるこの国では、約80万人の人たちが昔ながらの遊牧を営んでいるのだが、モンゴル健康科学大学が行った調査の結果、ここはアレルギー体質の人が世界で最も少ない地域のひとつであることが判明した。モンゴル遊牧民の 花粉症とアレルギー性喘息の体質保有の割合は、日本人のわずか5分の1程度だったのである。

モンゴルには、アレルギーの原因となる アレルゲンが少ないのか。そんなことは ない。広大な草原には、毎年7月から8月にかけて花粉を飛散させるニガヨモギという植物が何種類も自生しており、それらはすべてアレルゲンであることが確認されている。では、いったい、何が彼ら遊牧民たちのアレルギーを防いでいるのだろうか。

話は、ヨーロッパへ飛ぶ。オーストリアのザルツブルグ大学は、毎年、地元の子供たちを対象にしたアレルギー調査を行っている。その方法は、農家の子供と 農家以外の子供の2つのグループに分けて、それぞれの アレルギーの割合を比較するというものだ。10年以上にも及ぶ詳細な調査の結果、両者の間には明らかな違いの存在することが分かった。農家の子供たちは、農家以外の子供たちに比べ、花粉症の場合は3分の1、喘息の場合は4分の1と、アレルギーになる割合が極めて少なかったのである。では、いったい、何が農家の子供たちのアレルギーを防いでいるのだろうか。

モンゴルの遊牧民たちと、ザルツブルグの農家の子供たちの、共通点。それは、幼い頃から家畜と触れ合って育ってきたこと。そして、家畜の糞に含まれる「エンドトキシン」という細菌成分をたくさん浴びて暮らしていることである。モンゴル遊牧民の子供たちは、馬、牛、ラクダ、ヒツジ、ヤギなどの家畜を遊び相手にし、貴重な燃料になる家畜の糞を集めてくる作業を日課にしている。ザルツブルグの農家の子供たちもまた、毎日のように家畜小屋に出入りして、牛と遊んだり飼育の世話をしながら、小屋の空気中に漂っている糞の成分を吸い込んだり 衣服につけたりしている。そうして両者とも、エンドトキシンに囲まれた日々を送りながら成長していくのである。

エンドトキシンは、大腸菌などの細菌を覆っている膜の成分であり、その細菌が死んでバラバラになると大量に発生する。家畜の糞に含まれるこの物質が、花粉アレルギーの予防効果を持っていることを世界で初めて示したのが、ミュンヘン大学のエリカ・フォン・ムーチウスだ。 ドイツ、オーストリア、スイスの3か国において子供のアレルギーに関する大規模な共同研究を行った結果、人体の免疫システムを正常に保ち、アレルギーを防いできたもののひとつが、エンドトキシンであることが明らかにされたのである。

 家畜とともに暮らす毎日。そのような生活のスタイルを、われわれ日本人もかつては持っていた。昭和20年代までは、農村部に暮らす人たちが総人口の約7割を占め、そこでは家畜といっしょの生活様式が主体となっていた。人間が牛や馬とひとつ屋根の下で暮らすのも、別に珍しいことではなかった。

 ところが昭和30年代に入ると、高度経済成長にともなって急激に都市化が進み、生活のシーンから家畜は消えていった。そして、より便利に、より快適に、より清潔にと、日常生活の姿が大きく変わり始めた この昭和30年代に、日本人の体質もまた大きく変わったのである。

 最初の章で、2003年に国立成育医療センターが20代の若者を対象に実施したアレルギー体質に関する調査の結果をご紹介したが、これとは別に、同センターが 東京都内の企業に勤務する 昭和10年代から50年代に生まれた人たちを対象に行った調査がある。その結果が示したのは、驚くべき事実だった。スギ花粉やダニに対するアレルギー体質保有者の割合が 昭和10年代から20年代に生まれた人たちでは約40%であったのに、昭和30年代以降に生まれた人たちでは70〜80%近くにまで増えていた。昭和30年頃を境に、アレルギー体質の人が倍増していたのだ。

 モンゴルの遊牧民やザルツブルグの農家の子供たちが、21世紀のいまもなお持っているもの。それを、経済的な豊かさや便利さや快適さや清潔さと引き換えに、われわれ日本人は、もう半世紀もの昔に捨ててきてしまったのである。

 

 

激変した現代の生活環境のなかで、

免疫システムが不都合を引き起こしている。

 

さて、それでは懸案だった事項へと進もう。「いずれ現代人の標準体質になっていくだろうと考えられているアレルギー体質」の件だ。人がアレルギー体質になるかどうかは、1歳頃までの乳幼児期の生活環境によって決まることが、最新の研究によって分かってきている。

生まれたばかりの赤ちゃんのとき、人間の免疫細胞のほとんどは、まだ外部から何も刺激を受けておらず、役割が決まっていない未成熟な状態にある。それが成長していくにしたがって、いろいろな細菌やアレルゲンに接していくうちに、2種類の免疫細胞へと変化していくのだ。前にも述べたが、それは細菌を撃退するための 1型ヘルパーT細胞、あるいはアレルゲンを捕まえるための 2型ヘルパーT細胞のどちらかである。

ところが、この2種類の免疫細胞たちは、それぞれの役割の違いから、体のなかで勢力争いを繰り広げているのだ。 例えば、乳幼児期に大量の細菌に接触すると、未熟な免疫細胞は、細菌を攻撃する型へと変身していく。われわれ人類の祖先が哺乳類になる以前から備わっていた、古いタイプの 1型ヘルパーT細胞の方だ。 しかし、この1型ヘルパーT細胞が増えていくことは、同時に、2型ヘルパーT細胞が増えにくくなることを意味する。このような 「1型ヘルパーT細胞が多く、2型ヘルパーT細胞が少ない」 状態で大人になると、たとえスギ花粉やダニなどにたくさん遭遇しても、アレルギー反応は起こりにくくなる。

それとは逆に、乳幼児期に細菌が少ない清潔な環境で育つと、1型ヘルパーT細胞は増えていかない。そうして未熟な免疫細胞は、アレルゲンに出会い、2型ヘルパーT細胞へと変化していく。このような 「1型ヘルパーT細胞が少なく、2型ヘルパーT細胞が多い」 状態で大人になると、スギ花粉やダニなどのちょっとした刺激にも、アレルギー反応を起こしてしまうのだ。

すなわち、人の乳幼児期に起きる2種類の免疫細胞のせめぎ合いによって、両者のバランスが決まり、それが将来アレルギー体質になるかどうかを決定づけるのである。

前章で述べたエンドトキシンがアレルギーを防ぐ効果があることも、これで分かりやすい。乳幼児期にエンドトキシンという細菌成分に接触していれば、当然 1型ヘルパーT細胞が増加し、アレルギーになりにくい体質になるわけだ。だからと言って、成人に達してから、いくらエンドトキシンに囲まれた環境で暮らしても、もはや遅い。乳幼児期に決められた2種類の免疫細胞のバランスを大きく変えることは難しいし、そもそも高濃度のエンドトキシンを浴びてそれが血液中に入ると 高熱やショック症状を引き起こす危険性がある。

われわれが生きている現代の日本の生活環境は、ひと昔前に比べると非常に清潔になっている。このような環境で生まれた赤ちゃんの免疫細胞は、否応なく 2型ヘルパーT細胞に偏ってしまい、将来的にアレルギー体質を獲得してしまう。かと言って、清潔な生活や社会の環境を われわれは手放すことはできない。衛生的な社会の実現によって、感染症などのさまざまな病気の脅威をわれわれは抑え込んできたし、乳幼児の死亡率も劇的に下がり、人間の寿命も大きく伸びたのだから。

しかし、その代償として受け入れなければならなくなったのが、アレルギー体質という名の標準体質だ。アトピー性皮膚炎や食物アレルギーについては まだ科学的に明確な説明がなされていないが、花粉症や喘息などのアレルギー疾患の急激な増加は、20世紀以降に先進国の間で急速につくられた「超清潔社会」が一因となっていることが明らかにされつつある。

人類は、地球上に最も遅く出現した哺乳類である。直立二足歩行を始めた旧人類は 約600万年前に登場し、われわれの直系の祖先である現生人類(ホモ・サピエンス)は 約20万年前に誕生した。そして、生存環境のさまざまな変化に合わせて体の仕組みを適応させながら、今日までの長い時間を生きてきた。ところが、この100年足らずの間に 自らの生活環境を あまりにも大きく変えすぎたために、体の免疫システムが 不都合を引き起こしてしまった。人類史上、経験したことのない超清潔社会のなかで、免疫システムはバランスを崩してしまったのである。

いま、多くのアレルギー研究者たちが声を揃えるように使っているキーワードが、この「バランス」だ。大きく崩れてしまった 1型ヘルパーT細胞と 2型ヘルパーT細胞のバランス、衛生的な状態と自然の状態のバランス。それらを正常な状態に戻していくことが、現代社会を生きる者たちに求められているのである。

どんなに文明化が進もうが、われわれ人間は生物界の一員である。われわれの体内には約1kgもの細菌が棲んでおり、大腸菌や乳酸菌など腸内にいる細菌の数は約100兆個にも及ぶ。これらのすべてによって、われわれの生命活動は支えられているのだ。

人間は、孤立して生きることはできない。自然との良き調和があってこそ、われわれは良き生き方ができるのではないだろうか。

 

 

なぜ、人は病気になるのか。

それを「進化」の視点から解き明かす研究が始まった。

 

  これまで述べてきたように、アレルギーという病気は、人間の生活環境の急激な変化のなかで、進化の過程で得られた人体の仕組みが不都合を生み出したものであることが明らかにされてきた。こうした事態は、アレルギーのみならず、いろいろな病気として現代人を苦しめていることが、新しい学問分野の誕生によって少しずつ分かってきているのである。

それが、「進化医学」だ。人間の体に起こる、病気を始めとするさまざまな不都合を、「生物としての長い進化の過程」 という大きな視点に立って考え、その原因を説明しようとする 新しい取り組みである。1991年に、アメリカの医学者である ランドルフ・ネシーと 進化生物学者である ジョージ・ウィリアムズによって提唱されたこの学問研究は、いまからちょうど150年前に進化論を唱えた チャールズ・ダーウィンの名を取って「ダーウィン医学」とも呼ばれている。

これまでの医学が主に問い続けてきたのは、何が(what)病気を起こすのか、どのようにして(how)人は病気になるのかということだった。これに対して、進化医学が明かそうとするのは、なぜ(why) 人は病気になるのかということだ。医学のように直接的に病気の治療法を生み出すのではなく、病気の意味を進化の理論によって解き明かし、病気についてのより深い理解を提供することを通して、医学研究者たちに協力をするのが進化医学の立場なのだ。すでにアメリカの大学では、医学部の講義に進化医学が取り入れられ始めている。

それでは、例えば、「メタボ」。 流行語にもなったほど、われわれ現代人にとって悩ましいこの症候群について、進化医学はどのような説明をするのか。

メタボリックシンドロームとは、内臓脂肪型肥満に 高血糖・高血圧・高脂血症などを合併した体の状態で、糖尿病や脂質異常症、高尿酸血症などの生活習慣病になるリスクを高めるものだ。栄養の過剰摂取や偏重摂取、慢性的な運動不足などが大きな原因として挙げられているが、進化医学では、ある遺伝子の働きに着目する。それは、「倹約遺伝子」というものだ。

およそ20万年前に誕生した現生人類は、狩猟や採集によってのみ食生活を支えてきた。獲物が得られることは稀で、つねに飢餓状態にさらされていたのだ。こういう厳しい環境下で生き延びるためには、手に入れた食物のなかにある栄養分を効率よく分解・吸収して必要なだけのエネルギーに変え、当座のエネルギーとして使わなくてもよい栄養分は体のなかに蓄える という仕組みが不可欠である。食べられるときは できるだけ多く食べ、脂肪や糖といったエネルギーの高いものを特に好んで食べ、それらを体内にせっせと貯め込んでいく。まさに倹約遺伝子の働きによって、われわれの祖先は こうした性質を獲得し、蓄積されたエネルギー源の 脂肪や糖がある限り、しばらくの間は食事ができなくても 活動を続けることができたのである。

それから、およそ1万年前に農耕や牧畜が始まっても、人類の食生活が安定することはなかった。狩猟や採集の時代に比べれば多少は改善されたかもしれないが、作物が食糧になる時期は限られているし、定常的に食べられるほど多くの家畜を育てる技術もなかった。つまり、いまから200〜300年くらい前までの人間は、一部の特権階級を除けば、ほかの動物たちと同じように慢性的な飢餓状態にあったのである。

そして、飽食の現代を迎えても、人間の体の仕組みは飢餓の時代に適応したままなのだ。倹約遺伝子は 現代人に脂肪や糖の多いものを好んで食べさせ、それらの栄養分は体のなかに せっせと貯め込まれていくのである。獲物を求めて何日間も荒野を歩き続けるような運動をしない 現代人は、蓄積した栄養分をエネルギーとして消費することも少なく、だんだんとメタボになっていくわけだ。生活環境の急激な変化のなかで、人体のシステムが引き起こした不都合。アレルギーとメタボは、とてもよく似ている。

こうした現代病だけでなく、古くからある感染症、中毒、ケガ、遺伝子疾患、癌、性と繁殖、精神障害、老化、死など、さまざまな病気や人体の不都合について、これまでとは違った視点から捉え直すことにより、進化医学は多くの新しい発見をもたらし続けている。われわれが病気だと思ってきた症状のうち、あるものは体を守るための大切な防御反応であり、またあるものは人間自身が作り上げた文明や文化が原因となって引き起こされた災いであり、さらには病気を起こすと考えられていた遺伝子が実はわれわれの祖先が生き延びるために有益であったというようなことが、次々と明らかになってきたのである。

今年は、ダーウィンが生まれてからちょうど200年目にあたる。これも何かの機会だから、あなたも進化医学の本を開いてみてはいかがだろうか。そこには、きっと新しい発見があるはずだ。自分が知らなかったことを新たに知ることは、いくつになっても楽しいものである。

 

 

執筆にあたり、参考(引用)にした本です。

 皆さんにも、ぜひご一読をおすすめします。

 

●「病気はなぜ、あるのか   進化医学による新しい理解」   

  ランドルフ・M・ネシー & ジョージ・C・ウィリアムズ 著   新曜社

●「人はなぜ病気になるのか   進化医学の視点」   井村裕夫 著   岩波書店 

●「進化から見た病気   ダーウィン医学のすすめ」   栃内新 著   講談社ブルーバックス 

●「アレルギーはなぜ起こるか   ヒトを傷つける過剰な免疫反応のしくみ」 

  斎藤博久 著   講談社ブルーバックス     

●「アレルギーとアトピー」   矢田純一 著   ポピュラーサイエンス 231   裳華房

●「NHKスペシャル   病の起源 1」   NHK「病の起源」取材班 編著   日本放送出版協会

●「NHKスペシャル   病の起源 2」   NHK「病の起源」取材班 編著   日本放送出版協会

 

トップへ戻る