第8話は「大きさゼロのその先へ」。素粒子物理学の世界をテーマにした物語です。(2009年11月執筆)

             

                     

 

 

 

 

 

 

大きさゼロのその先へ

 

 

 

 

 

「万物の根源」 とは何か? その解明に、

ノーベル賞の頭脳たちが取り組んできた。

 

 今回の物語は、クイズから始めることにしよう。あなたが当サイトにアクセスをし、今まさにこの文章を目で追っているそのパソコンは、いったい何から出来ているのだろうか?

CPU、メモリ、ハードディスク、DVDドライブ、フロッピードライブ、ディスプレイ、キーボード、マウス……と、いろいろな部品をあなたは頭に思い浮かべることだろう。それでは、2問目。その部品たちは、いったい何から出来ているのだろうか? さらに、3問目。 その 「何」 は、何から出来ているのだろうか? 4問目。 そのまた 「何」 は、何から……?

何?何?何?と、クイズを際限なく続けていったのでは、せっかくのお時間を無駄にする。それでは、最終的な答を申し上げよう。それは、「クォーク」 および 「レプトン」 という名の 「素粒子」 から出来ているのである。

パソコンだけではない。マウスを操作している あなたの手も、 あなたの全身も、 あなたの住む家も、 あなたの暮らす街も、あなたの生きている地球も、地球の他の星たちも、星たちの集まった銀河も、この自然界のあらゆるものは、すべて 「クォーク」 と 「レプトン」 から出来ているのだ。パソコンの命である 「電子」 だって、「レプトン」 という素粒子の1つなのである。

物質を分割して分割して分割していって、もうこれ以上分割することができないまでに 究極に小さくなった粒子、それが素粒子。 つまり、 あらゆる物質を構成する 最も基本的な粒子なのである。 この物語のなかで順を追って紹介していくが、これまでに 「クォーク」 や 「レプトン」 の他にも いろいろな素粒子が発見されている。 また、 もうすぐ発見されるだろうと言われている素粒子もあれば、まったく未知のものだが存在するはずだと考えられている素粒子も 物理学者たちの研究の対象になっている。

この、 万物の根源 (それは 宇宙の根源でも あるのだが) とも 言うべき 粒子の性質を 解明しよう とするのが「素粒子物理学」 だ。19世紀の末に黎明を迎えたこの学問分野は、20世紀に飛躍的な発展を遂げ、21世紀の今では 宇宙の誕生時の様子や 宇宙を支配する力の存在と 不可分の研究が進められている。

もちろん、われわれホモサピエンスは 「知恵あるヒト」 なのであるから、 「万物の根源は何か」 という考究は古くから行われてきた。その主役は、今を去ること2500年もの昔に興った、ギリシア自然哲学の賢人たちだ。

後に 「ミトレス学派」 と 呼ばれた、 タレス (前624年頃〜前546年頃) は 「万物は水から成る」 と、 アナクシメネス (前578年頃〜前525年頃) は 「万物は空気から成る」 と、 ヘラクレイトス (前535年頃〜前475年頃)は 「万物は火から成る」 と、 エンペドクロス (前492年頃〜前432年頃) は 「万物は 水 ・ 空気 ・ 火 ・ 土 から成る」 と、 それぞれ唱えた。

 多士済々の古代ギリシアの学者たちのなかで、現代科学につながる説を唱えたのは、 デモクリトス (前460年頃〜前370年頃) だ。  「物質を究極にまで分割すれば、それ以上分割できない 『アトム』 に達する」 という彼の考えは、19世紀の化学者たちによって 「原子」 や 「分子」 の概念としてよみがえり、 「化学反応」 の理解を助ける役目を果たしたのだ。

 その後も 「原子」 は 物質をつくる最小単位であると 考えられてきたのだが、19世紀末 そして20世紀に入ってからは、この 「原子の構造」 をめぐる科学研究が進み、極小の物理学は大きく花ひらいたのである。 それを実現させたのが、理論と実験の両分野で画期的な功績を積み上げていった 各国の精鋭科学者たちであり、現代社会の高度な文明の礎を築いた彼らには、ノーベル賞という最高の栄誉が与えられていったのだ。

 なかでも特筆すべきなのは、日本の科学者の活躍が、今日の素粒子物理学の国際的な発展に 大きく貢献してきたことだ。現在まで、ノーベル物理学賞を受賞した日本人研究者は7人いるが、このうち6人が素粒子物理学の研究成果を認められたのである。

 それらの 受賞年、氏名、受賞理由を 列挙してみよう。 1949年、 湯川秀樹 (核力の理論研究による中間子の存在予言)。 1965年、 朝永振一郎 (量子電磁力学の分野における基礎研究、 および 素粒子物理についての深慮 した 結論)。   2002年、 小柴昌俊 (天体物理学 とくに 宇宙ニュートリノ の 検出に対する 先駆的貢献)。2008年、 南部陽一郎 (素粒子物理学における 自発的対称性の破れの メカニズムの発見)。 同年、 小林誠、益川敏英 (ともに、自然界に存在する クォークを最少 3世代と予測する 対称性の破れの 起源の発見)。 また、素粒子物理学の直接の研究ではないが、1973年に受賞をした 江崎玲於奈の 「半導体内および超電導体内における トンネル効果の実験的発見」も、 量子力学の応用が生み出した研究の成果である。

 とりわけ去年、 3人が同時に受賞した という快挙に関わる 「対称性の破れ」 は、 現代素粒子物理学における最重要キーワードの1つである。難解そうで、不思議がいっぱいで、とても面白い。 「事実はSF小説よりも奇なり」の 極小の世界へ、 さあ、 足を踏み入れてみよう。

 

 

 原子から原子核へ、原子核から陽子と中性子へ。

さらにその先に、クォークとレプトンがあった。

 

   さて、 「原子が万物の根源」 と いう 考えに ピリオドを 打ったのは、 イギリスの 物理学者 ラザフォードである。「原子は、プラス電荷の小さな原子核が中心にあり、その周りを マイナス電荷の電子 (すでに トムソンという学者によって電子は発見されていた) が回っている構造になっている」 と考えた彼は、1911年、金の薄膜にアルファ線をあてる実験によって これを裏付けた。長年守り続けてきた 万物の根源の座を、原子は 「原子核」 に譲ることになったのである。

しかし、ホモサピエンスの探究心は これに留まらなかった。原子核というものにも、その内部構造があるのではないだろうか、と。 そして、1918年。 ラザフォードは、アルファ線を 窒素ガスにあてる 実験から 「陽子」 を発見。次いで、1932年。 フランスの化学者 キュリー夫妻が、 アルファ線をベリリウムの原子にぶつけると 正体不明の放射線が出てくることを発見し、 同年、その放射線の正体を探る実験を行ったイギリスの物理学者 チャドウィックは、 それが 「陽子」 と ほぼ 同じ 質量を持ち、 電荷が プラスでも マイナスでもない 電気的に 中性な粒子 (後に「中性子」 と 呼ばれる) であることを 突き止めた。 これらの 発見によって、 原子核が 「陽子」 と 「中性子」 から出来ていることが明らかにされ、 万物の根源 の座は、 この 2つの粒子に移ったのである。

しかし、それからが大変。 1950年代から60年代にかけて、実験装置の進歩に伴い、 「陽子や中性子の仲間の粒子」 が次々と発見されていったのだ。 そして万物の根源は、ついに100種類を超えてしまい、 最も基本的な粒子が あまりにも増えすぎてしまったことに 物理学者たちは 頭を抱えた。 これらの 粒子たちの 素になっている「真に 最も基本的な粒子」 が、 本当は存在するのではないだろうか。 そう 考えられるようになったのは、 当然の成り行きでもあった。

そして、それは、本当に存在した。 陽子や中性子 などの粒子が、より基本的な 「クォーク」 という 「素粒子」 から出来ている とする説が、1964年に アメリカの物理学者 ゲルマン、および ツバイクによって、それぞれ独自に堤唱され、 その存在が 10年後の1974年に 実験によって確認されたのである。

ゲルマンらは、 「クォーク」 の種類を 「アップ」 「ダウン」 「ストレンジ」 と名づけた3種類 だと考え、 当時の学界もそれを認めていた。 だが、これに異を唱える者たちが現れた。 日本の物理学者、小林誠 と 益川敏英 である。2人は、「クォーク」 はさらに3種類があり、全部で6種類が存在することを、1973年に 理論的に予言したのだ。

どうして、3種類ではなく、6種類なのか。そこに、前章でふれた 「対称性の破れ」というキーワードが登場する。ちょっと難しい話なので 後の章で詳しく述べることにするが、 「クォークは6種類である」 と仮定することによって、「CP対称性の破れ」 という現象を うまく説明できることが 分かったからである。 「CP対称性の破れ」 は、すでに実験で 明らかに されていたのだが、 この現象の理論的な説明を 誰もできないままでいた。それを成し遂げたのが、小林 と 益川 なのである。

それから 36年を経た 現在では、6種類の 「クォーク」 と、同じく 6種類の 「レプトン」 が、 物質をつくる 「最も基本的な 素粒子」 であると考えられている 。 「クォークは、陽子や中性子を構成する 素粒子のグループであり、その メンバーの名前は 「アップ」 「ダウン」 「チャーム」 「ストレンジ」 「トップ」 「ボトム」。  一方の 「レプトン」 は、電子と、 電子の仲間の 素粒子 のグループであり、 その メンバーの名前は 「電子」 「電子ニュートリノ」 「ミュー」「ミューニュートリノ」 「タウ」 「タウニュートリノ」 だ。

例えば、 陽子は 2個の 「アップ」 と 1個の 「ダウン」 から 出来て おり、  中性子は 1個の 「アップ」 と 2個の 「ダウン」 から出来ている。 「アップ」 の電荷は プラス3分の2、 「ダウン」 の電荷は マイナス3分の1。 計算していただくと、 陽子の電荷が 「1」、 中性子の電荷が 「0」 と、 学問上 決められた 整数値 に なることが お分かりだろう。

お分かりだろう と言われても、 なんだか チンプンカンプンな話 だなあと、 読者の皆さんは きっとお思いに違いない。 「万物の根源」 という 大変な役割を 担っているにも関わらず、 その名前が 「チャーム(魅力)」 であったり「ストレンジ(奇妙)」 で あったりするのは、ふざけているんじゃないかと、筆者も 初めて 聞き知ったときには そう感じたものだ。

どうして 物理学者たちが このようなネーミングを したかと 言うと、 われわれが ふだん生活をしている 通常のマクロの世界から 大きくかけ離れた 素粒子物理学においては、発見された粒子に 具体的な意味性を与えては、理論研究の妨げになるからである。 それゆえ、言葉に特定の説明機能を持たせないように 工夫をし、象徴的な用語が使われているわけなのだ。

そもそも 「クォーク」 というネーミング自体、その名づけ親のゲルマンの、とっておきの工夫の産物なのである。アイルランド出身の 世界的な 小説家であり 詩人である ジェームス ・ ジョイス の作品 「フィネガンズ ・ ウェイク」 を、 ある日読んでいた ゲルマン博士は、その中に出て来た 「マスター ・ マークに3つのクォークを」 という文章の「クォーク (quark)」 を とって、自分の唱えた 可愛い素粒子の名前にしたのだ。「クォークは3種類」 と考えていた博士の 理論に ぴったりで、 お気に入りの ネーミングで あったのだろうが、 実は この 「クォーク」 は、 「カモメの鳴き声」 なのである。 カラスの 「カー、カー、カー」 みたいなものだ。 たしかに言葉に説明機能を持たせない工夫で あることは間違いないが、万物の根源の名前が 「カー、カー、カー」 だということを 古代ギリシアの自然哲学の先生たちが もしも知ったら、はたして、どんな顔をするだろうか。

 

              

         「素粒子がつくる物質」 を、 「素粒子が伝える力」 が

支配しているという、何とも不思議なこの世界。

 

    名前も奇妙だが、それ以上に不思議なのは、素粒子たちの持っている 「性質」 だ。まず述べておきたいのは、すべての素粒子には 「大きさがない」 と いうことである。モノを分割し尽くしてしまうと、「大きさ」 が存在しなくなるのだ。

原子には 10のマイナス8乗cm (約1億分の1cm) という 大きさがあり、原子核には 10のマイナス12乗cm(約1兆分の1cm) という 大きさがある。水素や酸素や鉄などの原子までは 電子顕微鏡を使えばかろうじて見ることができるが、原子核は もはや小さすぎて 見ることができない。

そして、素粒子に至っては 「大きさがない」 のである。「大きさがない」 とは 「存在しない」 ということではないかと思われようが、そうではなく、現在の最先端科学が持っているどんなツールを駆使しても 測定が不可能の大きさであるということだ。理論的に記すと、「少なくとも10のマイナス20乗cm以下」 であるとしか分からないのである。そして、このようなサイズであれば 「ない」 と同じ と考えられ、物理学の計算上でも 素粒子の大きさは 無視をしてかまわないことになっている。もしも素粒子に大きさがあれば、それは 空間的な広がりを持つことを意味するわけだから、さらに 分割ができることになる。 事実、それをテーマにして 新理論をつくろうとしている研究者もいるが、その手がかりすら見つかっていない のが現状。 やはり 素粒子こそが 物質の基本なのだ。

それでは、大きさのない素粒子を、いったい科学者たちは どうやって 「見る」 のだろうか。後の章で 詳しく述べるが、 それには 「加速器」 という装置を 用いるのである。 原子核や陽子や電子を 加速器の中で衝突させ、その実験結果から 素粒子の存在や 性質の証しを 確認すること。 これが 「見る」 ことなのだ。  過去 数十年にわたる幾多の実験から、素粒子の いろいろな有り様が 見えてきた。

 なかでも 興味深いのは、クォーク の性質だ。 陽子や電子が プラス や マイナスの 「電荷」 を持つ のに対して、クォークが持つのは 「色」 なのだ。 「色」 と言っても、クォークに 実際に 色がついているのではなく、 その性質が「色の性質」 として 捉えられるのである。 例えば、 陽子は 3個のクォーク から出来ている (前の章でふれたが、2個のアップと 1個のダウン) が、それぞれの クォークが 「赤」 「青」 「緑」 という性質を 持っているとする。 その3色を 「光の3原色」 と考えたとき、3色を合わせると 「白」 になる。 この 「白の状態」 こそが、物質としての 陽子が 「安定した状態」 である と考えられるわけだ。 これは、 「量子色力学」 と呼ばれる 研究分野における 理論の1つである。

 また、クォークとクォークの間には 「強い力」 が働いて、互いに 結びつけられている。 この 「強い力」 は、プラスと マイナスの電荷の間に働く 「電磁気の力」 の 約100倍もの強さである と 考えられている。 原子核を構成する陽子や中性子どうしを 結びつける力も、 この 「強い力」 だ。

 いま、 「強い力」 と 「電磁気の力」 について ふれたが、 これらに 「弱い力」 と 「重力」 を加えて、 「宇宙に存在する 4つの力」 と呼ぶ。 いきなり宇宙が登場したので 戸惑われたかもしれないが、 まあ 気楽に読み進めていただきたい。

 現在の物理学では、宇宙には 上記した 「4つの力」 があり、それぞれの力は 「力を伝える素粒子」 を 受け渡しすることによって伝わる、と 考えられているのだ。

 まず、 「強い力」。  前述した通り、 クォークどうしを 結びつける力 である。  この 「強い力」 を 伝える素粒子 を「グルーオン」 と 呼ぶ。 また、 原子核内部で 陽子と中性子を結びつける力 も 「強い力」 であり、 こちらは 「パイ中間子」 に よって 伝えられる。( 「中間子」 は 素粒子ではない が、陽子と中性子を くっつける 接着剤の役割を果たしている粒子があると、湯川秀樹が存在を予言したものだ。 陽子と電子のちょうど 「中間」 の質量を持つことから、湯川が この名を付けた)。

 次に、 「弱い力」。 放射性元素の中には、中性子が陽子に変わり、 電子 と 反ニュートリノ ( 「反粒子」 の1つ。後述する) が 放出される現象 (ベータ崩壊) が起きるものがある。このベータ崩壊を起こす力が、 「弱い力」 だ。「W」 粒子 や 「Z」 粒子 などの 「ウィークボソン」 と 呼ばれる素粒子 によって伝えられる。

 さらに、「電磁気の力」。 電気と磁気は、19世紀に イギリスの物理学者 マクスウェルによって、同じ理論で説明できることが 示された。 「電磁気の力」 を 伝える素粒子は 「光子 (フォトン)」、 いわゆる 「光」 である。

 そして、 「重力」。 言うまでもなく、17世紀に イギリスの物理学者 ニュートンが発見した 「万有引力」 のことだ。質量を持つ物質どうしを引きつけ合う力で、「重力子 (グラビトン)」 によって伝えられる (この素粒子は未発見)。

 以上が、 「宇宙に存在する 4つの力」 と、 それぞれの 「力を伝える素粒子」 に ついての概略である。

 宇宙の あらゆる物質は、 クォーク と レプトン という素粒子によってつくられ、 グルーオン や ウィークボソン やフォトン や グラビトン と いった素粒子によって伝えられる 「4つの力」 に 支配されている。  この 事実への 到達こそ、20世紀の科学が生み出した、最大の成果の1つである ことは間違いない。

 そして、 これらの 「4つの力」 をまとめる 究極の理論の構築が、21世紀のいま、物理学における最大の目標となっているのだが、 この話は最終章にとっておくことにする。

 さて、 次章。  いよいよ 「対称性の破れ」 について 語っていこう。

 

 

                       そして 「対称性の破れ」 の研究は、

「質量の起源」 や 「反粒子の消滅」 の謎にも迫る。

 

 SF作家もビックリ の理論を 生み出した男がいた。  「すべての粒子には、 必ず 『反粒子』 が存在する」。 そう考えたのは、イギリスの物理学者 ディラックだ。 宇宙のあらゆるものは 素粒子から出来ているわけだから、この説が もしも事実であれば、 地球に対しては 「反地球」 が存在し、 いま この物語を読んでいる あなたに対しては 「反あなた」 が 存在することになる。 そして、 これは事実だった。

原子や分子の基本法則として確立したばかりの 「量子力学」 と、アインシュタインの 「相対性理論」 を合体させる 奇抜な着想を得たディラックは、1928年、独自の計算式に基づき、電子とは電荷が逆の 「陽電子」 の存在を予言。学界から 「計算の間違いだな」 と冷笑されたその4年後、アメリカの物理学者 アンダーソンが、地球に降り注ぐ宇宙線から 本当に 「陽電子」 を発見し、ディラックの説が正しいことを証明して、彼を跳びあがるほど喜ばせたのである。

そして 現在の素粒子物理学では、 すべての粒子に反粒子がある ことは 常識と なっており、 粒子と反粒子はつねにペアで生まれ (対生成)、 粒子と反粒子が衝突すると エネルギーを放出して消滅する (対消滅) と 考えられている。 宇宙が誕生したばかりのころ、粒子と反粒子は 同じ数だけ生まれたのだが、反粒子は宇宙の成長過程で消えてしまい、粒子だけが残ったのだ。 だから、「反地球」 や 「反あなた」 の存在は、 実現することのなかった、 理論上での事実なのである。

ところで、 どうして 反粒子が消え、粒子だけが残ったのだろうか。 その原因の1つとして 考えられているのが、前々章でふれた 「CP対称性の破れ」 である。いよいよ難解なテーマに突入するが、おつき合いをいただきたい。

去年の ノーベル物理学賞を 同時受賞 した 3人の 日本人科学者のうち、 南部陽一郎は 1961年に発表した「対称性の自発的な破れ」 に 関する論文を、 小林誠 と 益川敏英 は 1973年に共同で発表した 「CP対称性の破れ」 に 関する論文を、 それぞれ 評価されて 受賞の栄誉に輝いた。  説明の順番として、 まず 南部理論から入っていくことにしよう。

抽象的で分かりにくい 「対称性の自発的な破れ」 と いうフレーズだが、 物理学における 「対称性」 とは、 どの方向も 特別ではなく、 対等である性質のこと。 「破れる」 とは、その性質が成り立たなくなること。 「自発的に」 とは、ひとりでに、と いうこと。  つまり、 「対等である性質が、 ひとりでに、 成り立たなくなる」 現象が、 「対称性の自発的な破れ」 なのだ。 そして、 この 「破れ」 が 起こるのは、 何かの 「刺激」 によって である。

抽象的な話を 抽象的に説明しても 分かりにくいままだから、 具体的な 例え話を してみよう。

公園がある。 そこでは、 たくさんの男性たちが、 思い思いの方向へ 歩いている とする。 これは 「対称性」 が保たれている状態だ。 そこへ、 美しく着飾った、 とびきりの美女が現れた。 すると、 それまで思い思いの方向へ向いていた 男性たちの顔と身体は、  いっせいに 美女の方向へ 向き変わる。  これが、 「対称性」 が 「破れた」状態なのだ。 美女の出現 という 「刺激」 によって、それまで保たれていた 男性たちの向き という 「対称性」 に、「破れ」 が 起きたのである。

このような 現象が、宇宙の誕生時に起きた と 南部は 考えた。 生まれたばかりの宇宙は、極めて 高温だったため、 すべての素粒子が 光速で飛んでおり、 すべての素粒子の 質量がゼロだった。 つまり、素粒子に 関する「対称性」 が 保たれていたのである。  ところが、 宇宙の膨張に ともなって 真空の状態が 変化し、 その変化が( つまり 「刺激」 が ) 「対称性の自発的な破れ」 を 引き起こしたのだ。 一部の素粒子たちが、ひとりでに 質量を持ち、 光速で飛ぶことが できなくなったのである。

「真空の対称性が 自発的に 破れることによって 素粒子に質量が生まれた」 と する、 この南部理論は、「質量の起源」 の 解明に 最初の道筋をつけた 画期的なものなのだ。

 さて、 次は、 小林 ・ 益川理論。  「宇宙から反粒子が消え、 粒子だけが残った」 原因の1つ と 考えられている現象、 「CP対称性の破れ」 だ。 前者よりも フレーズは2文字ほど短くなったが、やはり難解な言葉である。 説明を しよう。

まず、 「CP」 とは、 粒子の 「CP変換」 の こと。  「電荷 (Charge) を 反対にする変換」 である 「C変換」 と、「空間を 反転 (Parity) する変換」 である 「P変換」 を、 同時に行う 変換が 「CP変換」 だ。  そして、「対称性の破れ」 は、 前述したように 「対等である性質が 成り立たなくなる」 ことである。

つまり、 粒子の 持っている 電荷を、 プラスからマイナスに変えたり、 マイナスからプラスに変えたり、  粒子の存在する 空間を、 まるで 鏡に映すように 反転させたり の 「刺激」 を、 いちどに 与えてしまう と、それまで 粒子たちの間で保たれていた 「対称性」 が、 この 「刺激」 によって 「破れ」 てしまい、 粒子たちに通用する物理法則が 変わってしまう。 これが、 「CP対称性の破れ」 の 意味するところ なのである。   

単独の 「C変換」 と 「P変換」 では、 それぞれ 「対称性が破れ」 ていることが、 すでに 分かっていた。 しかし、それらを 同時に 行う 「CP変換」 では 「対称性の破れ」 が なかなか 発見 されなかったため、  「CP対称性」 は「破れていない」 のではないか と 考えられていた。

ところが、1964年。 アメリカの物理学者 クローニン と フィッチ が 「K中間子」 の 崩壊を調べた実験で、「CP対称性の破れ」 を ついに発見。  しかし 実験では 確認されても、 まだ クォークが3種類 だと されていた当時の物理学者たちは、この現象を 理論的に 説明することができなかった。 その後1973年に、小林 と 益川 が 登場し、クォークが6種類あれば 「CP対称性の破れ」 を うまく説明できるのを示したことは、前々章でふれた。 では、それは、 どうしてなのか。

ゲルマン ら によって 提唱されていた 3種類のクォークは、  「アップ」 「ダウン」 「ストレンジ」 だった。  小林 と 益川は、 これらに 「チャーム」 「トップ」 「ボトム」 を 加え、 6種類のクォークを、 質量の違いによって 3つに分類した。  質量の 小さいほう から 順に、 「第1世代 (アップ と ダウン)」 「第2世代 (チャーム と ストレンジ)」 「第3世代 (トップ と ボトム)」  と 位置づけたのである。

そして、 クォークの本来の状態である 「質量固有状態」 が、 その崩壊時には 「弱い相互作用の基底状態」 に組み換わってから 他のクォークに崩壊するのだが、 その際に クォークが6種類あれば、 そこに位相の自由度が発生し、 世代交代のときに 「CP対称性が破れる」 と 考えたのだ。

小林 と 益川 が 予言をした、 追加の3種類のクォークは、 実験によって存在が確認されていった。1974年には 「チャーム」 が、 1977年には 「ボトム」 が 発見された。 そして、 それからは歳月を要したが、 最後に残った6種類目の 「トップ」 も、 1995年に 発見されたのである。

理論による予言と、 実験による証明を 繰り返しながら、 素粒子物理学は 目覚ましい発展を遂げてきた。 その実験の主役となるのが、 「粒子加速器」 である。

いま、 物理学は 「ある粒子」 を 発見しよう と 懸命になっている。 そのために、 世界最大の加速器が、ついに動き出したのだ。 その話は、 次の、 最終章で。

 

 

 最強の加速器に期待される、 「標準理論」 の証明。

 その理論の先には、さらに 「究極の理論」 がある。

 

  よく分からないモノを調べる 簡単な方法は、 何と言っても 「こわす」 ことである。 クルミの実の 中身が知りたければ、 カナヅチで 実を叩き割るのが 手っ取り早いやり方だろう。 素粒子物理学の 実験においても、 やはりカナヅチが使われている。 「加速器」 という名の カナヅチが。

物理学者たちの 理論的な予言を 実証するために、 20世紀になると 特殊な 実験道具が つくられるようになった。 それが、 加速器。 電子や陽子などの粒子を 電気エネルギーで加速し、別の粒子に衝突させ、 さらに小さな粒子に分解して調べる ( まさにカナヅチ!) 装置である。

加速器の エネルギーが 高くなり、 粒子を 光速近く まで 加速できるように なるに したがって、 物質 の究極に小さな姿が 次々と 明らかに されて いった。 そして、 いかに 高エネルギー の 加速器 を つくるかと いう 各国の競争の時代を経て、 現在では 国際協力による 開発研究が 進められるように なっている。

その象徴とも 呼ぶべき存在が、 「LHC」 だ。 各国の協力のもと、 「CERN ( 欧州合同原子核研究機構)」 がスイスのジュネーブ郊外の地下に建設し、 去年の9月に始動した 「大型ハドロン衝突型加速器」 である。

1周が 27kmという 巨大なリングを備えた、この史上最大の円形加速器では、陽子を 光速の99.9999991% まで 加速することができる。 このとき陽子は、1周27kmのリングを 1秒間に 11000周回するのだが、そのエネルギー は 7兆電子ボルトにまで 達する。 人類が これほど大きなエネルギーを 持つ 陽子を つくり出すのは初めての ことであり、 実験中に 「人工ブラックホール」 が 生成される 可能性もある。

もしも 人工ブラックホールができたら、地球が その中へ吸い込まれて 消えてしまう かもしれないから 危険だという理由で、 実験の中止を求める 訴訟が フランス高等裁判所 と 欧州裁判所に 起こされて いるのだが、 「仮に人工ブラックホールが できたとしても、 余りにも 極小のため 瞬時に 崩壊してしまうので、 地球が無くなる心配はありませんよ」 と いう説明を CERN側 は している。

今後、 LHC に よって、 現在の 素粒子物理学が抱える 諸問題の 解決に向けた さまざまなデータが得られることが 期待されているのだが、 とりわけ 世界中の 研究者たちの 注目を集めているのが、 前章の最後にふれた「ある粒子」 を 発見できるか どうか と いうことだ。 「ある粒子」 とは、 いったい、 何なのか?

ここで、南部陽一郎の唱えた理論を 思い出していただきたい。 「生まれたばかりの宇宙では、すべての素粒子が光速で飛んでおり、 すべての素粒子の質量がゼロだった。 だが、 宇宙の膨張にともなって、 真空の対称性が自発的に破れ、 素粒子に質量が生まれた」 で ある。

この理論を、さらに発展させたのが、イギリスの物理学者 ヒッグスだ。 彼が1964年に提唱した「ヒッグス機構」では、  真空の対称性の 自発的な 破れによって、 真空が 「ヒッグス粒子が充満する場」 に 変わった と 考えた。そして、そこを通過する素粒子は「ヒッグス粒子の抵抗」を受け、速度が遅くなった。つまり、素粒子に質量が生まれた、と考えたのだ。

「ある粒子」 とは、 この 「ヒッグス粒子」 の ことである。  この物語で、  ここまで述べてきた 現代素粒子物理学の基本 ( それを 「標準理論」 と呼ぶのだが) は、 実は、 すべて 「ヒッグス粒子が存在する」 ことを前提にして組み立てられて いるのだ。  しかし、 「ヒッグス粒子」 は、 まだ 発見されていない。

「標準理論」 の 正しさ を 証明することは、 古代ギリシアの昔から 営々と考究を 重ねられてきた 「万物の根源の解明」 を、 最高の成果にまで結実させている、現代素粒子物理学の 正統性を証明することに他ならない。 LHCによる 「ヒッグス粒子」 の発見への期待には、 研究者たちの悲願が こめられているのだ。

 そして、 「標準理論」 の 先には、 「究極の理論」 への 道のりがある。  「宇宙に存在する 4つの力」 すなわち「強い力」「弱い力」「電磁気の力」「重力」を、1つにまとめる理論の構築が、現代物理学における最大の目標となっていることは前々章でも述べた。

「4つの力」 のうち、 「電磁気の力」 と 「弱い力」 を まとめた 「電弱統一理論」 は、 すでに 1967年、 アメリカの物理学者 ワインバーグ、 グラショウ、 および パキスタンの物理学者 サラムによって発表され、 1983年に 実験でも 確認された。 3人の予言した 粒子が、発見されたのだ。

 さらに、 「重力」 を 除く、 3つの力 を まとめた 「大統一理論 (GUT)」 も、 1974年に グラショウによって 発表されたが、 いまだに 実験による確認には 至っていない。

 現代物理学 に おける 最大の目標とは、 これらの先にある、 4つの力の すべて を まとめる 「超大統一理論」なのだ。

この 「究極の理論」 の 有力な候補として、 「超ひも理論」 と 呼ばれる考えが提唱されている。 これは、素粒子を 「点」 として考えるのではなく、 長さのある 「ひも」 として考える理論だ。 バイオリンの弦が振動の仕方によってさまざまな音色を 奏でるように、 素粒子も 「ひも」 の振動の違いによって、 さまざまな種類に 見える と 考えるのである。

はたして、 「4つの力」 は 「1つの理論」 で 説明することが できるのだろうか。 そして、 その理論とは、 どのような ものなのだろうか。

大きさの無い 世界の、 さらなる 先へ。 ホモサピエンスの探究は、 これからも、 どこまでも、 果てしなく 続いていくのである。

 

 

 執筆にあたり、参考(引用)にした本です。

皆さんにも、ぜひご一読をおすすめします。

 

●「クォークから超ひも理論まで  素粒子とは何か」   Newtonムック別冊   ニュートンプレス 

●「破られた対称性  素粒子と宇宙の法則」   佐藤文隆 著   PHPサイエンス新書  

●「小林・益川理論の証明  陰の主役Bファクトリーの腕力」   立花隆 著   朝日新聞出版     

●「宇宙誕生100万分の1秒後の謎」   延與秀人 著   じっぴコンパクト   実業之日本社  

●「こんなにわかってきた素粒子の世界」   京極一樹 著   知りたい!サイエンス   技術評論社  

●「21世紀の知を読みとく  ノーベル賞の科学  物理学編」  矢沢サイエンスオフィス 編著   技術評論社

●「教科書にでてくる  物理学者小伝記」   並木雅俊 著   シュプリンガー・ジャパン

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